九十九里 本須賀海岸

2026/5/30 山武の九十九里散策 美しい自然と深い歴史に堪能!

千葉駅 07:15発銚子行に乗って、08:15 松尾駅着。
この駅は木造でかわらぶきとなっている。開業時から変わってない貴重な駅だ。
北にまっすぐ行くと国道216号に出た。

松尾駅
松尾駅
国道126号
国道126号

216号の道路沿いを横芝駅方向に進むと、08:35九十九里教会があった。
国登録有形文化財(建造物)だ。
明治学院大学の創設者であるヘボンさんゆかりの教会として知られている。
明治学院大学は娘の母校なので、入学時からヘボンさんを知っていた。
九十九里浜にヘボンさんの教会が明治からあるなんて、えーと思った。
現在も活用されている。布教の強さかな!
中に入ろうとしたが閉じていた。残念!

九十九里教会
九十九里教会
九十九里教会側面
九十九里教会側面

そして今度は国道216号を成東駅方向に進んだ。
そして信号右手の道に入ると、大堤権現塚古墳の道標があった。
右に目を向けると、両側に石塔がそびえる入口があった。石塔には箱根神社と書かれていた。

大堤権現塚古墳案内板
大堤権現塚古墳の道標
大堤権現塚古墳入口
大堤権現塚古墳入口

鬱蒼とした雑木林の中に入っていくと、右側に階段と大堤権現塚古墳案内板があった。

鬱蒼とした古墳道筋
鬱蒼とした古墳道筋
箱根神社入口の階段
箱根神社入口の階段
大堤権現塚古墳案内板
大堤権現塚古墳案内板
箱根神社の鳥居
箱根神社の鳥居

階段を上って鳥居をくぐると、 09:15 箱根神社が現れた。
神社の横に大堤権現塚古墳があった。
周りにはドクダミの群生、こもれびに覆われている。
暗く秘境的だ。厳かで圧倒される。

箱根神社
箱根神社
ドクダミに覆われた古墳
ドクダミに覆われた古墳
大堤権現塚 前方後円墳
大堤権現塚 前方後円墳

前方後円墳だ。古墳は6世紀末~7世紀初頭の築造とされている。
この時期としては日本最大級である。出土遺物も多数だ。
そして階段を下りて国道216号に出た。
雑木林と違って、心地よい風を浴びながら、あぜ道を歩いて行くと線路に出た。

松尾駅近くのあぜみち
松尾駅近くのあぜみち

09:50 松尾駅着。すぐに千葉行の電車に乗った。
ひと駅で10:10 成東駅着。

成東駅
成東駅

駅前左には歌人伊藤左千夫の歌碑が建っていた。
また、右にはキャラクター「さんむすび」が迎える観光案内所があった。

伊藤佐千夫 歌碑と成東駅
伊藤左千夫 歌碑と成東駅
さんむすび観光案内所
さんむすび観光案内所

歌人伊藤左千夫、道の駅、観光スポットなどの資料がおいてあった。
また電動自転車のレンタルもあった。でも歩きの私はシャリ放棄だ。
駅前から、10:40発の市内周遊バスに乗って成東海岸バス停に向かった。
バスからの眺めは九十九里浜とは思えない、田畑が広々と続いた。
11:13 成東海岸バス停着。
前方に信号があって、本須賀海岸入口の目印が見えた。

本須賀海岸入口の信号
本須賀海岸入口の信号

10分ほど歩くと、左に特養、ホテルニュー大洋が見えた。
11:30 道路を超えると、ワオー、MOTOSUKA BEACHだ。

九十九里 本須賀海岸
九十九里 本須賀海岸

広い、美しい、海岸線にはヤシの木が植えられ、南国気分だ。
ここは世界的な「きれいな海水浴場」として「ブルーフラッグ」認証を2019年4月に取得した。
サーファーのクラブもある、冬の夜空を楽しむ人も増えて、一年中賑わっている。
青空の下、臭みがない白い浜辺をゆっくり歩いた。

広い浜辺 (左側)
広い浜辺 (左側)
本須賀海岸 広い浜辺(中央)
広い浜辺(中央)
広い浜辺(右側)
広い浜辺(右側)

浜辺のベンチで昼食した。言葉にならない気分だ!
ストレスでフーフーしている人は、ぜひ歩くべきだ。

11:50 そして、何度も浜辺を振り返りながら、百人塚に向かった。
成東駅への一本道千葉県道121号をひたすら歩いた。
途中神社?に遭遇した。お参りしてさらに進んだ。
12:20左手の工場わきに百人塚があった。

百人塚
百人塚
百人塚案内板
百人塚案内板

1703(第5代将軍徳川綱吉の時代)年11月22日の夜に起きた大地震。
震源域:相模トラフ沿い(房総半島南端の野島崎付近から相模湾)
規模:推定マグニチュード 8.2
江戸や小田原などで多数の家屋が倒壊・焼失した。
千葉県(房総半島沿岸)には10メートル級の巨大津波が押し寄せ、多くの尊い命が失われた。
百人塚はその供養碑だ。
東日本大震災は、M9.0 震度7(最大)だから、これに近い規模だったろう。
2019年11月、上さんと南三陸町の語り部ツアーに参加した。
そこで、地震の凄まじさを後世に伝えることの重要さをしみじみ感じた。

そして食虫植物群落に向かって、千葉県道121号をひたすら歩いた。
京橋バス停を過ぎて、白幡交差点から左方向の124号に入った。
すぐに作田川の橋を渡ると、14:00 武射神社参道入口の道標が見えた。

食虫植物群落の横に流れる作田川
食虫植物群落の横に流れる作田川
武射神社参道入口
武射神社参道入口

田植えを済ました水と苗の光景は美しい。
そのあぜ道を気持ちよく歩いた。
すると成東・東金食虫植物群落への道標があった。
さらに進むと食虫植物群落のエリアを仕切る柵や立ち入り禁止の看板が現れた。
群落は広い湿地帯だ。

食虫植物群落案内板
食虫植物群落の道標
食虫植物群落
食虫植物群落

大正9年(1920年) 日本で初めての天然記念物に指定された。
15:04 食虫植物群落管理棟に入ると、
スタッフの方が掲示板の写真を示しながら丁寧な説明をされた。
食虫植物はイシモチソウ、コモウセンゴケだ。
虫を食べる撮影は非常に難しいと言われた。

食虫植物群落管理棟
食虫植物群落管理棟
成東・東金食虫植物群落案内板
成東・東金食虫植物群落案内板

そして自然観察路を歩き見渡した。
残念ながら花は見られなかった。
でも貴重な体験した。

そしてまた作田川を越えて、千葉県道121号に戻った。
そこから15:35 歌人伊藤左千夫の生家と郷土資料館に行った。
生家は茅葺屋根の農家だ。

伊藤佐千夫の生家案内板
伊藤左千夫の生家案内板
伊藤佐千夫生家
伊藤左千夫の生家
伊藤佐千夫生家
伊藤左千夫の生家

上京して正岡子規の門下になり、アララギ派の中心人物として活躍した。
我孫子の杉村楚人冠とも親交があったようだ。
野菊の墓の映画を見た。老人役の笠智衆を良く覚えている。

そして山武市役所、伊藤左千夫公園を通って、16:05 和菓子屋 秋月に来た。
上さんへの土産だ。好物の豆大福などを買った 。

和菓子屋 秋月
和菓子屋 秋月
秋月の和菓子
秋月の和菓子

16:05 成東駅に戻った。
よく歩いた。起伏のない道だったから、足腰の痛みはない。
16:17 発千葉行に飛び乗って、そのまま帰宅した。
早速、上さんが豆大福を開けた。おいしい、おいしいと笑った。
私もお腹がすいていたので、一層うまかった。
今日のコースは雑木林、海岸、田園地帯と変化があった。
ますます街歩きが楽しくなった!
歩いている時が生きている感じがする。

関宿城表紙

2026/3/24 利根川と江戸川の合流点「関宿城」 菜の花一面の歴史の町に大満足!

今日は千葉県の広報「ちば県民だより」に紹介されていた県立関宿城博物館周りの史跡巡りだ。
野田市にある利根川と江戸川の合流点だ。
江戸時代初期に、幕府は江戸の洪水対策と水運開拓のため、利根川東遷事業を行った。
関宿はその重要な地点だった。ゆえに歴代の関宿藩主は徳川家の譜代大名であった。
コースは、
川間駅→新町→バス停→千葉県立関宿城博物館→にこにこ水辺公園→関宿水閘門→関宿城本丸跡→関宿関所跡石碑→鈴木貫太郎→光岳寺→道の駅さかい→東武動物公園駅
08:55 川間駅着。

川間駅
川間駅

北口のバス停に停車している朝日バス運転手に「このバスは09:16発の境車庫行」ですか。
「行きません。境車庫行のバスは12:00ごろです」と運転手が言った。
関宿城博物館HPに記載のアクセスと違うじゃやん。こんなの初めて、予定が狂った!
iphoneで関宿城博物館HPのアクセスを見ると東武動物公園駅から「境車庫行」が見つかった。
便数も多い。良かった。そこで川間駅から東武動物公園駅に向かった。
09:30東武動物公園駅着。
東口バス停に行くと、案内板に09:59発があった。
これでスケジュールの遅れは小さい、ほっとした。
目の前にドトールの看板があった。バスを待つ間、コーヒータイムだ。

東武動物公園駅
東武動物公園駅
境車庫行時刻表
境車庫行時刻表
朝日バス
朝日バス

そして朝日バス09:59発の境車庫行に乗車。
バス車窓からはのどかな田園風景と一面の菜の花だ。
田園地帯の中を20分ほどで10:30新町バス停着。
前方には利根川だ。

バス車窓からの風景
のどかな田園風景
一面の菜の花
一面の菜の花
新町バス停
新町バス停

大橋を渡らず手前を左方向に歩くと、利根川河川敷には菜の花が満開、黄色一色だ。
これほどの菜の花は養老渓谷のチバニアン以降見てなかった。
久しぶりに見た、感激した。
菜の花を眺めながら田園地帯の道をまっすぐに行くと、右手に関宿城内鬼門除稲荷神社があった。
関宿城の北東が鬼門だった。その守護として、建立したようだ。
ここで災難除けをしたのかなー。
10:50千葉県立関宿城博物館着。

関宿城博物館案内板
関宿城博物館案内板
関宿城博物館と利根川(右)と江戸川(左)
関宿城博物館と利根川(右)と江戸川(左)
関宿城博物館
関宿城博物館
博物館前の江戸川
博物館前の江戸川
関宿城内鬼門除稲荷神社
関宿城内鬼門除稲荷神社
菜の花が覆う関宿城博物館
菜の花が覆う関宿城博物館

隣の駐車場には、サイクリングの4人の高齢者が休息していた。
遠くから来たのだろー、これもいいな!
城の入り口手前には、土産屋、休み処があった。

関宿城博物館の土産屋(左)と駐輪場(右)
関宿城博物館の土産屋(左)と駐輪場(右)
関宿城博物館入口
関宿城博物館入口

入り口前には、蛇篭、利根川と江戸川の船が展示されていた。

蛇籠
蛇籠
利根川と江戸川の船
利根川と江戸川の船

中に入ると思ったより狭い空間だ。3階建てだ。
1階から2階には、
江戸時代から明治時代までの水門にまつわる歴史が表示されている。
江戸幕府は江戸の洪水対策と水運開拓のため、利根川東遷事業を行った。
その重要な拠点に関宿藩主は譜代大名の久世家だ。
藩主就任以来明治まで続いた。小藩だが老住職も出している。
また戦国時代からの歴史が表示されている。上杉と北条の戦を良く示している。
関宿がどれほど重要だったのか、理解できる。
3階は展望室だ。近くには利根川、江戸川、関宿の景色が美しい。
遠くに筑波山、富士山も眺められる。絶景ポイントだ!
そして土産屋によって、土産を買って昼食をした。
こんにゃくのくずもちとキューリの漬物だ。

関宿城博物館土産屋
関宿城博物館土産屋
博物館の土産
博物館の土産

それから、中之島管理橋を渡り中之島公園に来た。中州のようだ。

中之島公園管理橋
中之島公園管理橋
管理橋から関宿城博物館
管理橋から関宿城博物館

関宿水閘門(すいこうもん)に来た。
入口に、棒の石が置いてあった。
江戸時代は、この石で江戸川に入る水量を調整していたのか。
人間の知恵だな。

棒出しの石
棒出しの石
棒だし
棒だしの石案内板
関宿水閘門(すいこうもん)
関宿水閘門(すいこうもん)

関宿水閘門の前に関宿水門上流水位観測所があった。
今はこの観測所で水位を観測して、江戸川に入る水量を調整していた。

関宿水門上流水位観測所
関宿水門上流水位観測所

12:05 水閘門を渡って茨城県山王に入った。
ちばといばらぎの県境だ。
そして、江戸川の土手沿いに歩いた。12:55関宿城跡にきた。
ここから藩主は毎日筑波山、富士山を眺めていたのか。
眺めを楽しんでいたのだろー。
一方、洪水の被害にも気をもんでいたのだろー。

江戸川土手の菜の花
江戸川土手の菜の花
江戸川沿いの関宿城跡
江戸川沿いの関宿城跡

さらに歩いて、13:20関宿関所跡にきた。石碑が立っていた。

関宿関所跡
関宿関所跡

江戸川に沿って城が作られているのがわかる。
そこからバス通りを新町バス停に向かって行くと、
13:35第42代内閣総理大臣鈴木貫太郎の記念館・記念碑にきた。
ボツダム宣言を受託し終戦に導いた人だ。
幼少期に関宿で過ごした。晩年は関宿に戻ってきた。
この地は老中と内閣総理大臣を生んだ。

鈴木貫太郎石碑
鈴木貫太郎石碑

さらに歩くと13:40光岳寺にきた。
浄土宗だ。徳川家ゆかりの寺院だ。
初代関宿藩主「松平康元(徳川家康の異父弟)」が、その母「於大の方」のために創建した寺院だ。
増上寺にもつながりが深いみたい。
境内に地蔵菩薩があった。
お参りした。

光岳寺
光岳寺
地蔵菩薩
地蔵菩薩

徳川家康が関宿を重要地にしたことが、あらためてわかった。
さらに歩くと13:55出発点の新町バス停にきた。一周した。
そして正面に見える利根川境大橋(横にある歩道橋)を歩いた。
大型車が通ると歩道橋は少し揺れる。
高所恐怖症の私は恐る恐る利根川沿いの菜の花を眺めながら歩いた。
15分かかった。

利根川境大橋
利根川境大橋
長い境大橋歩道橋
長い境大橋歩道橋
利根川べりの菜の花
利根川べりの菜の花

渡ると、茨城県に入った。すぐそばに道の駅さかいがあった。
道の駅近くには大きなショッピング施設サカイモールが並んでいた。
この一帯はにぎやかだ。

境大橋より道の駅さかい
境大橋より道の駅さかい
サカイモール
サカイモール

道の駅さかいで一服した。
アイスクリーム、コーヒーだ。美味い、道の駅はいい!

道の駅さかい
道の駅さかい
道の駅のアイス うまいな
道の駅のアイス うまいな

土産はギョウザ。茨城のギョウザは有名だったかな?
お客みんなが買っていたので、つられて買った。これは安い。

道の駅のギョウザ
道の駅のギョウザ

そして道の駅さかいバス停に行くと、
ここでも時刻表には15:05の川間駅行があった。

道の駅さかいのバス停時刻表
道の駅さかいのバス停時刻表
博物館
道の駅さかいからの博物館

帰りは川間駅行きのバスを待っているはずが、
なんと15:05に来たのは東武動物公園行きのバスだった。
行きも帰りも川間駅行は消えた。
こういうのもありか?
15:45東武動物公園着。
18:00家に着くと、
上さんがへー、今日の土産はギョウザとくずもちとつけもの!
くずもちとつけものは関宿の土産、ギョーザは道の駅さかいだよ。
今日の夕食はギョウザだね。
このギョウザの製造者は埼玉県だよ。
えー、本当?
上さん、思ったより美味しいよ。すごく美味しい。
茨城いや埼玉のギョウザ、いいね!
明日はくずもちとつけものだね。(笑)
回り道をしたが、菜の花一面の歴史の町に大満足だ。

百花園梅一色 (23)

2026/2/17 亀戸界隈の梅の香りに堪能した!

今年から孫娘が小学校一年生だ。上の孫は小学4年生だ。
娘から、孫娘の保育園の卒園式(3/14)に招待された。
そこに学業の御守りをプレゼントしようと思った。
足首骨折から1年経った。
リハビリの効果があって、骨折前より動きは良くなった。
さー、街歩き・トレッキングの活動再開だ。
今冬は寒暖差が激しい。野外での歩きは控えてきた。
やっと暖かくなった。まずはお守りと近くの梅散策だ。
コースは
亀戸駅→向島百花園→白髭神社→東武博物館→香取神社→亀戸天神→錦糸町駅
2/17 08:55亀戸駅着。10℃ うす曇り 弱風 寒くない
亀戸は久しぶり。駅前を見回した。バス停⑥番乗り場に来た。

亀戸駅前のバス停
亀戸駅前のバス停
日暮里駅行バス停
日暮里駅行バス停

まだ時間があるので、駅前通りを歩いた。
現役時代に先輩が、ここは餃子がうまいからと、連れてきてもらった店は見当たらなっかった。
昔だもの、ないような。(笑)
09:18 日暮里駅行の都バスに乗車。30分ほどで向島百花園前に着いた。
そこから住宅街を5分ほど歩くと、向島百花園入り口に来た。
入口には梅の木を展示してあった。

向島百花園前の梅
向島百花園前の梅
向島百花園庭門
向島百花園庭門

入場料は70円、高齢者は安い。
都立文化財9庭園のひとつだ。庭門をくぐると、園内番地図と梅見ごろ地図の案内板があった。

向島百花園花だより園内番地図
向島百花園花だより園内番地図
向島百花園梅見ごろ地図
向島百花園梅見ごろ地図

これはわかりやすい。満開の梅が現れた。
朝早いせいか入場者は少ない。
白梅、紅梅が咲き誇っている。春を告げる気高い上品な花だ。
他に池の周りに水仙、菜の花が咲いていた。
思ったよりは狭い感じだ。行ったり来たりして、じっくり眺められた。
各梅の木が配置良く、植えられている。見事だ。
宝登山山頂の梅林、高尾山の小下沢梅林、筑波山梅林など山の梅林は広大な景色が眺められる。
一方庭園の梅林は多数の名木があって、池や茶室から眺められ、上品な味わいだと思った。

百花園梅一色 (1)
百花園梅一色 (1)
百花園梅一色 (2)
百花園梅一色 (2)
百花園梅一色 (4)
百花園梅一色 (3)
百花園梅一色 (5)
百花園梅一色 (4)
百花園梅一色 (6)
百花園梅一色 (5)
百花園梅一色 (7)
百花園梅一色 (6)
百花園梅一色 (8)
百花園梅一色 (7)
百花園梅一色 (9)
百花園梅一色 (8)
百花園梅一色 (10)
百花園梅一色 (9)
百花園梅一色 (11)
百花園梅一色 (10)
百花園梅一色 (12)
百花園梅一色 (11)
百花園梅一色 (14)
百花園梅一色 (12)
百花園梅一色 (15)
百花園梅一色 (13)
百花園梅一色 (18)
百花園梅一色 (14)
百花園梅一色 (19)
百花園梅一色 (15)
百花園梅一色 (20)
百花園梅一色 (16)
百花園梅一色 (23)
百花園梅一色 (17)
百花園梅一色 (27)
百花園梅一色 (18)
百花園梅一色 (28)
百花園梅一色 (19)
百花園梅一色 (29)
百花園梅一色 (20)
百花園梅一色 (30)
百花園梅一色 (21)
百花園梅一色(22)
百花園梅一色(23)

そして10:10 そばの白髭神社に来た。隅田川七福神の寿老神としても崇められている。
江戸時代は花街・吉原の人たちもお参りしたらしい。
白髪で白い髭をたくわえた姿であることから白髭神社となったみたい。
千客万来・商売繁昌が主で導きの神様。でも家族の健康をお参りした。(笑)

白髭神社 (2)
白髭神社

10:40 東向島駅横の東武博物館に来た。

東向島駅
東向島駅
東武博物館入り口
東武博物館入り口

入館すると古いSLが迎えてくれた。
東武鉄道のあゆみが良くわかる。初期からの電車が展示されていた。
入場者は幼児から大人まで楽しめるようになっている。
保育士が保育園児たちを連れてきていた。園児は電車に乗ったり、触ったり大はしゃぎだ。
また若い両親が子供に、電車運転のシミュレーションをさせて喜ばせている。
子供たちに理解できるようにミニュア電車が走っている。
孫たちも一度は見せたかった。
子供に還った感じだ。

展示品 (1)
展示品 (1)
展示品 (2)
展示品 (2)
展示品 (7)
展示品 (3)
展示品 (7)
展示品 (4)
はしゃぐ保育園児
はしゃぐ保育園児
電車運転シミュレーション (1)
電車運転シミュレーション (1)
電車運転シミュレーション (2)
電車運転シミュレーション (2)

そして亀戸天神に向かった。
11:45 キラキラ橘商店街を通って、下町の雰囲気を味わった。
さらに田丸稲荷神社でお参りした。

キラキラ橘商店街 入り口
キラキラ橘商店街
田丸稲荷神社
田丸稲荷神社
曳舟たから通り
曳舟たから通り

そして11:55曳舟たから通りに出て、12:05 小村井香取神社に来た。
ここも白梅、紅梅が満開だ。どこもかしこも梅一色だ。
平安時代に千葉県香取郡から移住・開拓した人々が氏神として創建した歴史ある神社だ。
美しい花梅の香梅園としても親しまれている。

香取神社右側の梅
小村井香取神社右側の梅
香取神社左側の梅
小村井香取神社左側の梅
小中居香取神社
小村井香取神社

12:30 近くのスーパーマーケットOlYmpicでトイレタイム、昼食した。
ラーメンからパンケーキまで多種の料理が安く召し上がれるところだ。
舩橋にはないスーパーだ。一瞬スポーツ店と思った。(笑)

Olympicの昼食パンケーキとコーヒー
Olympicの昼食パンケーキとコーヒー

北十間川の境橋を渡ると、右手にスカイツリーを見ながら12:50 亀戸天神の横に出た。
やはり人出は多い。梅も満開だ。
ここも白梅、紅梅が咲き誇っている。春を告げる気高い上品な花だ。
福岡出身の私にはまず大宰府の飛梅を思い出す。5000本の梅は圧巻だ。
亀戸天神は江戸時代に太宰府を模して創建された「東の宰府」だ。
大宰府を思い浮かべながら、じっくり眺めた。
赤い太鼓橋と白梅・紅梅のコントラストがすごくいい。

亀戸天神大鳥居
亀戸天神大鳥居
太鼓橋
亀戸天神3
本殿通りの白梅紅梅
しだれ白梅
しだれ白梅
本殿前の白梅と紅梅
本殿前の白梅と紅梅
亀戸天神本殿
亀戸天神本殿
鮮やかなロウバイと白梅
ロウバイと白梅
紅白のしだれ梅
紅白のしだれ梅
水仙と白梅
水仙と白梅

帰りに、孫たちへ学業の御守りを買った。良い道を進めよ!!!

亀戸天神の学業御守り
亀戸天神の学業御守り

今回も「おしるこ、くず餅」を食べようと舩橋屋を覗いたが、混んでいたので諦めた。
そして錦糸公園の早桜を眺めて、13:20 錦糸町駅着。

錦糸公園の早桜
錦糸公園の早桜

帰宅した。今回は上さんへのお土産なし。
亀戸界隈の梅の香りに堪能した。上品でやさしい可憐な花だ。
山の梅も庭園の梅もいい。来年また来よう。

白樺派ゆかりの地

20251023 我孫子の史跡と手賀沼散歩道を堪能した

09:00北柏駅着。久しぶりの散策だ。暑い夏を越えてやっといい季節になった。
 <画像はタップすると拡大する>

気温14℃ 薄曇り 微風 いいコンディションだ。
今日の散策は我孫子だ。西の鎌倉、東の我孫子と言われる、大正時代の別荘地だった。
著名な文人・芸術家・ジャーナリストなどが住んでいた。
大好きな志賀直哉が住んでいたところだ。
コースは、
北柏駅→金塚古墳→根戸城址→根戸船戸二号古墳→加納治五郎別荘跡地→三樹荘(柳宗悦居宅跡)→白樺文学館→志賀直哉邸→杉村楚人冠記念館→旧村川別荘→鳥の博物館→水神山古墳→水生植物園→手賀沼散歩道→手賀沼親水広場→我孫子駅
まず金塚古墳に向かった。周囲は新しい家が立ち並んでいる。常磐線沿いの住宅街だ。
住宅街を通り過ぎるとうっそうとした竹林に来た。その中にある竹林の小径を通り抜けると09:15公園「北星照ラス」に出た。

地元の方々が整理清掃されて、憩いのベンチ、手賀沼の見晴台が設置されている。
いいなー、こういう竹林の中の北星照ラス、ネーミングがいい。
その中に、高さ2mのかわいい金塚円墳があった。

造営時期は5世紀後半、我孫子市内では2番目に古い。
埴輪、石枕、立花、短甲など副葬品が出土している。
その金塚円墳横に根戸城址(堀切跡)があった。
一帯は私有地になっているが所有者の好意で見学できる。
太田道灌が築城したという説があるが、さだかではない。

そしてだんだんと手賀沼に向かって住宅街を下りていくと、10:15根戸船戸二号古墳に着いた。
造営時期は7世紀初頭(古墳時代終末期)の円墳だ。
6基あったが、2号墳のみ住宅街の根戸古墳公園内に残っている。
ここもかわいい円墳、そして良く整備されている。

さらに加納治五郎別荘跡地を目指し、坂道を下りていくと手賀沼ふれあいラインに出た。

ラインに沿って直進すると、右手に手賀沼公園があった。

史跡案内板に沿って、手賀沼を背に坂を上がって行くと11:02加納治五郎別荘跡地(天神山緑地公園)に着いた。そこに手賀沼を眺めている加納治五郎銅像が立っていた。

柔道の創始者で、講道館を開き、柔道の普及に努めた。
私が柔道を習ったのは中学校だ。高校では止めた。(笑)
今は世界の柔道だ。国技は相撲だが、実質は柔道だ。
そして加納治五郎別荘跡地の横に三樹荘(旧柳宗悦居宅跡:村山宅)があった。
その両跡地の間に風情ある石段坂(天神坂)があった。

両別荘住人は天神坂を下りて、手賀沼を散策したのだろう。
北の鎌倉と言われる別荘地と言われたのが良くわかった。
さらに気分よくハケの道を歩いて、11:25白樺文学館に着いた。

外見は古く、思ったより小さい。
しかし入館するとピアノ演奏が聞こえてきた。女性演奏家のボランティアだ。
音楽室の観客はだれもいない、私だけだ。
すぐに立ち去るのは気が引けてしばらく聞き入っていた。
壁、廊下、書棚など丁寧に整理整頓されて白樺派の文豪たちおよび関わった人たちの資料がいっぱいだ。当時の生活や文筆活動の面影が良くわかり素晴らしい。
私が小説を読みだしたのは中学校からだ。
短編が好きだったから、すぐに志賀直哉の私小説にはまり込んだ。

以来今日まで、ヘルマンヘッセと志賀直哉の作品は読み続けている。
資料館が長く存続してほしいと思いながら退館した。
11:45すぐ先にある志賀直哉邸跡と書斎に来た。今は公園になっている。

小説の神様は、ここで小僧の神様、暗夜行路、城の崎にてなどの作品を生み出した。
感動しながら書斎内外を見渡した。

それから戻って、12:05杉村楚人冠と邸宅に来た。
朝日新聞で活躍した先進的なジャーナリスト、文筆家、国際人である。
気品のある邸宅だ。広々とした庭には、彼の母親澤が住んだ家、妻のためにたてた茶室、池があった。
邸内の家具、装飾品、絵画、書物などは当時の一流品ものだ。

退館時に、スタッフがここは紅葉が素晴らしいです。
次回は紅葉を見に来てください、と言われた。
そして今度は坂道を上がって行くと12:40旧村川別荘に来た。
ここも手賀沼を望む斜面に建てられた広い別荘だ。
生活空間である母屋(旧館)と寝室・書斎・居間であった新館があった。
青もみじが素晴らしい。

新館入口には、バーナード・リーチがデザインし、我孫子の名大工佐藤鷹蔵が作った「三本足の椅子」があった。

ここで手賀沼を望みながら軽食を摂った。
四季折々の景色を楽しめる。いいところだ、文人が集まるのもわかる。
この狭い一帯になんと見事な邸宅や庭園が建ちならんでいる。
文人たちが競って建てたように思う。
我孫子に集まった文人たちはどうしてここを好んだのだろーか。
一息ついて、手賀沼ふれあいラインに出て手賀大橋方向に歩いた。
すると手賀沼親水広場の建物が見えてきた。

その先のふれあいライン沿いに小さな千勝神社があった。家族健康と無事帰宅を祈願した。
13:20その先に鳥の博物館があった。

日本で唯一の鳥類を専門に扱う自然史博物館だ。
この近くに公益財団法人山階鳥類研究所がある。見学はしなかった。

博物館では200点を超える鳥の標本が展示されている。イベントも一年中開催されている。
今はトリホネ展を開催していた。鳥のがいこつが見られた。これは楽しい(笑)
平日なので観客は少なく、じっくりと見学できた。
最上階に来るとバルコニーに出て、手賀沼のパノラマを眺めた。絶景だ。

そして手賀沼ふれあいラインの左側の坂道を上がって行くと周りは住宅地だ。
スマホで水神山古墳を探したが見つからない。ネットでは案内板があったが。
14:10 やっと住宅地の隙間にそれらしき前方後円墳の円墳を見つけた。
残念ながら整備されていない。どうも裏側に来たみたいだ。

諦めて。また手賀沼ふれあいラインに出た。すると水生植物園の看板が見えた。

左右の景色をながら、藤棚を通って行くと14:20手賀沼散歩道に出た。

爽やかな風にあたりながら、手賀沼を眺めながら、心地よく手賀沼親水広場まで歩いた。
途中散歩者、サイクリング者が手を振って通り過ぎて行った。
こちらも手を上げてあいさつした。
紅葉や桜の中の別荘と手賀沼、これもいいなー!
右手に鳥の博物館が、左奥に手賀大橋が見えた。

14:40手賀沼親水広場に着いた。敷地内外を見学した。
道の駅みたい。カフェで美味いコーヒーを飲んで一息した。

そして手賀沼ふれあいラインを戻って、16:10我孫子駅に着いた。
それから常磐線の柏駅に下車、高島屋1階のスイーツ売り場で上さんの土産を買った。
ハロウィン限定のチーズケーキだ。これが大事なんだ。(笑)

帰宅後、上さんは土産に大喜びだ。ほっとした。
史跡めぐりと手賀沼散歩道、良いコースだ。
あちらこちらに案内板があって、迷わない。
今度は紅葉と桜を見に行こう。

旧台徳院霊廟惣門

2024/9/25 安養院墓参りと増上寺周辺の散策

今日は、上さんが銀行時代からの友達と沖縄旅行の日だ。
同じ銀行時代からの友達が名護市に住んでいるので、3人でおしゃべり、食事、観光を楽しむ計画だ。06:30友達と羽田第1ターミナルで待合せ。羽田07:30発 JAL903便で、那覇10:00着。
上さん、初の沖縄一人旅だ。数日前から緊張感が溢れていた。
そこで、私は羽田第1ターミナルまで一緒に行くことにした。
眠い、こんな早いリムジンは初めてだ。
JR津田沼駅発リムジン05:20で、06:20 羽田第1ターミナル着。
06:30 上さんと友達が出会ったを遠くから確認した。
<画像をタップすると拡大する>

二人で仲良くしゃべりながら搭乗口に入る姿を見送って、地下1階のモノレール入口に行った。

久しぶりのモノレールだ。20年以上は乗ってないな!
車窓からの眺めが懐かしい。建物が増えたみたい、少し変わったようだ。
07:10 浜松町駅着。お彼岸のおわりだが、お墓参りと散策だ。
駅前は世界貿易センタービルの建替え工事中だ。
ぐるーと回って増上寺への大門通りに出た。

ここに初めて来たのは大学に入学した年だ。以来毎年来ている。
信号交差点では、おまわりさんが真ん中で、手を振って誘導をしていた。

交差点かどにたい焼き屋さんがある、その隣の交番のおまわりさんだ。
通行人に気軽に挨拶される親しみやすい交番だ。
ここのたい焼きは美味いだなー。
07:35 まず芝大神宮に行った。初孫と家族皆でお参りしたところだ。
平安時代、一条天皇の御代に創建されたお社だ。
歌川広重の錦絵にも描かれている。
急な階段を上がって、上さんの無事を祈願した。

それから大門をくぐって、菩提寺「安養院」に来た。

ここは江戸時代は増上寺境内だった。
明治時代、最初の芝区役所になったところだ。
当時の区役所はお寺にあったようだ。
安養院は、土佐藩山ノ内家に深いそうだ。
我が家の先祖は伊予松山藩の家臣だった。お墓も代々松山市にあった。
浜松町のお墓は江戸に住んでいた先祖のお墓だそうだ。父から聞かされた。
2016年10月安養院ご住職にお願いして、松山のお墓は墓じまい法要を行った。
墓の横にはご先祖の夫婦墓が残っている。
墓には寛文四年(1664年)、延宝四年(1676年)と刻まれている。
第4代将軍徳川家綱、第6代将軍徳川家宣の時代だ。
安養院を出て、08:15 増上寺前の日比谷通りに来た。
江戸時代は大松原と呼ばれていた場所だ。この辺は海近くだったかな。
傍に小さな常夜燈があった。江戸の町並みが感じられる。

増上寺の正面が三解脱門だ。

以前ご住職の案内で他の檀家の方たちと一緒に三解脱門の
二階に上がったことがある。中は広かった。
仏像がたくさんあった気がする。
そこから大門通りを眺めた。江戸時代は海が見えたのだろう。
そして境内散策だ。

正面に石階段、右に大梵鐘、その横にしだれ桜が、
その向かうに東京タワーがそびえる。
石階段を上ると大殿本堂だ。
残念ながら補修中で中には入れなかった。
地下の宝物・文化財見学はまだ開館していない。
早朝の散策だからな。(笑)
右側の安国殿に行ったがここも補修中だった。
後ろの西向聖観世音菩薩ではお参りした。

そして、本堂と安国殿の間の道を通って、徳川将軍家墓所に行った。
ここも開館していない。入口には鋳抜門が構えている。

ここには将軍は2代秀忠から14代家茂が、そして有名な静寛院和宮が眠っている。
入口手前に四菩薩像があった。
それから裏庭を歩いた。静寛院和宮ゆかりの茶室「貞恭庵」があった。

静かな佇まいだ。
そして圓光大師(法然)堂の前を通って、08:45 黒門に来た。

昭和55年(1980)の善導大師1300年遠忌に、
私は安養院檀家の人たちと一緒に、本堂に参列した。
安養院のご住職(現住職の祖父:父とは仲が良かった)が本堂で主役(役柄が不明)を務めた。
不思議とよく覚えている。そして帰りはどういうわけ黒門から出て行った。
東大の赤門と対比したからかも。
増上寺を出て、08:55 隣の芝公園にきた。ここは江戸時代は増上寺境内だった。
すぐ台徳院霊廟惣門が現れた。そして園内をゆっくり歩いた。

散歩する人、わんちゃん連れたの人たちの会話、静かな雰囲気が漂う。
都心とは思えない。いこいの場所だ。
芝東照宮に来た。お参りして、隣の梅林に入った。

その奥に丸山貝塚、そして円山随身稲荷大明神が、この狭いところに史跡がいっぱいだ。

さらに芝丸山古墳が現れた。前方後円墳だ。

築造は4~5世紀とみられ、都内では最大級の規模である。
ここに大きな古墳があるなんて、誰も信じないだろうな。
そして花壇を眺めながら公園を出て、また惣門に戻った。
惣門の階段を上がるとプリンス芝公園への一直線の通路に出た。
通路右は増上寺、左はザ・プリンスパークタワー東京だ。

プリンス芝公園を下って、愛宕下通りに面した宝珠院に行った。
建物はモダンな形をしている。一見お寺とは思えない。
開運出世大辨財天と閻魔大王が祀られている。珍しいなー。
横には弁天池がある。蓮池とも呼ばれる。

弁天池の隣は桜並木だ。
芝公園は歴史深く、新旧折り混ざった多様な史跡が多いところだ。
そして愛宕下通りを渡って、10:00 東京タワー下のもみじ谷に来た。
入口に都立芝公園案内図があって、赤でもみじ谷の現在地を示している。

美しい青もみじの世界だ。都心とは思えない景観だ。
悠久の世界に入り込んだみたいだ。
谷と言うより、丘の斜面に青もみじがいっぱい連なっている。

一つ一つのもみじをじっくり眺めながら、左側から丘の上に上がった。
丘の上には如意輪聖観世音が祀られていた。
お参りして、後ろに振り返ると東京タワーが見上げられた。

さらに進んで丘を下りていくと、小さな沢に出た。
沢に沿って四体のお地蔵さんが並んでいた。
その一番左側のお地蔵さんの背に蛇塚があった。

さらに下ったところにもみじの滝があった。
もみじ谷の滝案内板から建造のいわれや、もみじ谷にあるモミジの種類がわかった。

まもなく青もみじから紅葉にかわる。この時期もいいなー。
そして、増上寺と東京プリンスホテルの間を通って、11:00 JR浜松町駅に着いた。
早朝の都心散策、すがすがしい。これもありだ!
増上寺周辺の歴史と新旧の景観を楽しんだ。奥深いところだ。
開館前のところもあったが、それは次回の楽しみにしょう。
上さん、那覇に無事着いた。楽しんでください。

下野国庁跡前殿表紙

2024/4/12 下野天平の花まつり 花々に包まれた美しい史跡群!

今日は下野史跡めぐりだ。国分寺跡は7回目だ。
国分寺は奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国立の寺院だ。
関東には甲斐(笛吹市)、上野(高崎市)、下野(下野市)、常陸(石岡市)、武蔵(国分寺市)、相模(海老名市)、下総(市川市)、上総(市原市)、安房(館山市)の9の国分寺がある。(下線付きは散策した)
当時の地方行政区画の七道の一つ東山道に沿って下野国庁、下野国分寺、下野国分尼寺が建てられた。今日の下野コースは、
東京07:47→09:08小金井駅→観光案内所→小金井一里塚→天平の丘公園・国分尼寺跡・しもつけ風土記の丘資料館→下野国分寺跡→下野国庁跡・資料館→丸塚古墳→吾妻古墳→薬師堂→現国分寺→17:00小金井駅
そのコース図は、
<画像はタップすると拡大して鮮明になる>

「出典:地理院地図 / GSI Maps | 国土地理院を加工して作成」
07:30東京駅着。総武1番線から7番線ホームに来た。
このホームは常磐線(青)・宇都宮線(緑)・高崎線(薄茶色)で並ぶ位置を色分けしてある。
分かりやすい。日本だけかな。(ギャラリーはタッチすると拡大する=複数の画像の場合)

東京発07:47の快速ラビットに乗った。宇都宮線だから真ん中の緑だ。
09:08小金井駅着。20℃ 微風 薄曇り ハイキング日和だ。
早速小金井駅西口隣の観光案内所「オアシスポッポ館」に立ち寄った。
スタッフから「第45回天平の花まつり」のリーフレットをいただき、丁寧な説明を受けた。
入口横には貸自転車もあった。
今日のコースは思ったより距離があるなー。一瞬チャリで行くかどうか迷った。
だがこれまでも歩き通した、また古墳周辺のチャリは無理だと思いとどまった。
09:17駅前には、1本の淡墨桜がふたまたに立広がっていた。花は散っていたが、見事な桜だ。
同じ桜が国分尼寺跡にも咲いているそうだ。

駅西口を右方向に進んだ。国道4号に出て、自治医大駅方向に進むと 09:36 小金井一里塚着。
国指定史跡だ。江戸日本橋から一里(約4㎞)毎に建てられた。
旅人に江戸日本橋からの距離を知らせる目印、馬や籠の料金支払いの目安になった。
小金井一里塚は日光街道沿いに江戸日本橋から22里(約88km)の地点に造られた。
一里塚には、エノキとクヌギが植えられた。その時のままが残っている。

それから天平の丘公園内の下野国分尼寺跡を目指した。
住宅街をすぎると田園地帯が続いた。花々がきれいだ。のどかな風景だ。

天平の花まつりはワクワクするな。天平は聖武天皇の元号だ。
10:36姿川のお使者橋・紅橋に来た。2本の橋が架かっている。

橋を渡って地図を見ていると、後ろから釣竿を持った40台の人が声をかけてきた。
  案内しましょうと言って地図を見た。この地図は分かりずらいねと笑った。
  そして天平の丘公園に行くには、この先の三叉路を左に曲がってくださいと教えてくれた。
私はお礼を言って、何が釣れるのですか? 
  バスだよ。でも今は何もつれないよと笑って橋の下に下りた。
感謝、感謝、いい気分だ。これがあるから散策はやめられない!
指示通り真っすぐ行って、10:45三叉路を左に曲がった。案内板があった。
ここからは淡墨街道だ。天平の花まつり会場まで一直線の道だ。

さらに進むと、右手に満開の桜の横に寺社が見えた。10:52川西薬師堂だ。
案内板には、古くから眼病にご利益がある薬師如来が祀られていると記されている。
私も右眼が緑内障を患っているので、早速お参りした。ご利益があるといいが。

11:11天平の丘公園着。天平の花まつり会場にはのぼり旗がいっぱいだ。
見学者が多い。人気のイベント期間だ。

栃木県教育委員会HP「とちぎふるさと学習」には、
下野国分尼寺の敷地は145m×270mと記されている。
復元された礎石の周りをぐるーと一周した。
礎石の横には桜が並んでいる。駅前で見た淡墨桜があった。見事だ。
花は散っていた。ちょっと前だと満開だったな。
しかし他の桜はほぼ満開できれいだ。見応えがある。

11:33 隣のしもつけ風土記の丘資料館を散策した。

下野国分尼寺跡が全国で一番最初に史跡整備されたと記されている。大いに意義があることだ。
下野の古墳、飛鳥、奈良時代の歴史、古墳の発掘品、生活様式などがわかりやすく展示されていた。
11:58隣の下野国分寺跡に行った。
尼寺跡より広い。上述の「とちぎふるさと学習」には、下野国分寺の敷地は413m×457mと記載されている。
敷地入口には満開の花々が植えられている。天平の花まつりにふさわしい。
史跡にこれほど花が飾られているところは少ないと思う。地元の人たちの思いが現れている。
振り返りながら下野国庁跡を目指した。

18号から44号に出て、12:43思川の大光寺町橋を渡った。
そして大光寺町交差点を左に曲がって、思川沿いに南に歩いて行った。

すると右側に関東ふれあいの道と書かれた下野国庁跡の標識が見えた。
13:13下野国庁跡着。8世紀前半から10世紀の初め頃にかけて置かれていた下野国の役所跡だ。

下野国は下野薬師寺(東大寺・筑紫観世音寺と並んで日本三戒壇)が建立されたことから、東国の仏教文化の中心なっていた。
その下野国庁は地方統制の中核として設置された役所だ。
前殿北側に鎮座する宮野辺神社にお参りして、復元された前殿一帯をぐるーと観て回った。
左右に東脇殿プレート、西脇殿プレートが設置されていた。
約95m四方の敷地だから広大な規模だ。ここも桜がきれいだ。
国庁は正殿、前殿、左右の脇殿からなり、中央は広場であった。
正殿は前殿北側の宮野辺神社のところにあった。

13:26 隣の下野国庁跡資料館を見学した。
土器、漆紙文書、木簡、硯などの出土品や発掘調査のパネル、国庁跡の再現模型等が展示されていた。
当時の国庁での仕事ぶりや官人の生活の一端がわかるようになっている。
奈良の都平城京を中心に華開いた貴族・仏教文化の時代だ。華やかだっただろうな。
私は特に東山道と駅制について興味を覚えた。

そしてまた関東のふれあいの道を戻った。

14:12思川の大光寺町橋を渡り、44号交差点花見ヶ岡を左に曲がって、14:46丸塚古墳に来た。
遠くからも良くわかる円墳だ。
案内板をみて石室開口部を捜した。良く保存されている。
建造は7世紀前半、直径65m、県史跡だ。

さらに吾妻古墳を目指した。田園地帯の中に牧畜もあった。
工場の横を通って15:23 吾妻古墳に来た。
栃木県内最大の前方後円墳だ。正面側を前方から後方に見て回った。
建造は6世紀後半、古墳総長162m、国史跡だ。前方後円墳は長く大きい。

しもつけ古墳群は主に5~7世紀に造られた。古墳時代(4~6世紀)から飛鳥時代(7~8世紀)だ。
国分寺は奈良時代(8世紀)に造られた。これらの時代は興味ある史跡がいっぱいだ。
そして丸塚古墳に戻り、44号線を目指して歩いた。44号線に出ると小金井駅方向に歩いた。
16:17下野国分寺薬師堂に来た。ここも桜がきれいだ。16:20 隣の現国分寺に来た。

安房国分寺でもそうだったが、現国分寺は真言宗が多い。なぜかな?
それから44号線を越えて、天平の花まつり会場入り口に来た。そして往路と同じ道を歩いた。
姿川のお使者橋・紅橋に来ると、釣り人はいなかった。
17:25小金井駅着。観光案内所となりの御菓子司「松屋」で土産「あぶみ瓦」他を買った。
お店のスタッフは「かんぴょう」その他のPRが上手かった。(笑)

小金井駅18:04小田原行に乗車、東京駅19:45着。小田原まで一本で行けるとは便利だ。
20:36 津田沼着。帰宅するとすぐに夕食を済まして、上さんと土産を食べた。
上さん、「あぶみ瓦と言うの珍しい名前ね、見た目以上においしい、しもつけかー」
どんなところかなー? (笑)

下野の人たちの思いが、随所に現れて史跡や花々を良く整備されていた。
実に美しい史跡群だ。
下野は、奈良時代は東山道、江戸時代は日光街道の道筋にある。
また平安時代には平将門が登場する。史跡ファンには飽きさせない魅力ある街だ。
何度も行きたくなる。春と秋がいいかな!
今日はさわやかで心地よい歩きだった。これまでで一番長い距離だ。
足腰は痛くない。でも両足の薬指裏に大きい赤いマメができた。
トレッキングシューズを履いて行くべきだった。
これで関東の7国分寺を歩いた。のこりは甲斐(笛吹市)、上野(高崎市)だ。
これはいつかな(笑)
残り余生もっと楽しまなきゃ。どんどん歩くぞ—–

崖観音表紙

2023/10/26 房総の館山史跡めぐり 南国の海と深い歴史に感動!

今日は館山の史跡めぐり。春に計画を練ってから、激しい天候変化などほかの色々あってこれまで延びた。
天候は最高だ。25℃、風はなし、散策日和だ。
今日のコースは、
那古船形駅→大福寺崖観音→那古寺→JR那古船形駅(11:30) →JR九重駅→稲城城址(国史跡)→「水往来→→尾根道→堀切→虎口→土塁→主郭(本丸)→安房国分寺→JR館山駅→津田沼駅→帰路
JR千葉駅発06:58の上総湊行に乗車。08:07JR上総湊着。
のんびりと車窓からの眺めを楽しんだ。鋸山や富山など山あり、穏やかな海ありいい光景だ。
館山行の2両電車に乗り換えて08:39JR那古船形駅着。那古船形駅 
那古船形駅周辺前は新しい住宅が立ち並んでいる住宅地だ。駅を背に右方向に歩いて行った。
途中、出会った女性に大福寺崖観音の方向を聞いた。
丁寧に方向を説明してくれて、最後に「気を付けて楽しんでください」とにっこり言われた。
いい感じだ。
指示通りに歩いていくと、朱色の観音堂が見えた。おおー、これはすごい!
朱色の観音堂は船形山の崖面に突き出した形で創られている。
見事なものだ。09:20大福寺着。真言宗の寺院だ。
本堂にお参りして、左側の観音堂への階段を上るとお不動さまだ。
またお参りして、右側の階段を上がると入口に来た。しかし観音堂の中には入れなかった。
観音堂の奥にある岩肌に十一面観世音菩薩が彫られている。崖観音と呼ばれている。
振り返ると館山湾が良く見渡せた。海を見守っているようだ。
<画像はタップすると拡大して鮮明になる>

階段を下りて戻ると、石屋さんが墓補修をしていた。石屋さん
そこで観音堂について尋ねた。すると丁寧に教えてくれた。石屋さんは生粋の地元の人。
・いつできたかわからない。相当な昔だと言われています。
・地元の漁師の安全祈願で彫ったようです。
・十一面観世音菩薩像は磨崖仏です。崖観音と呼んでいます。
・前に観音堂で事故があってから、特別な日しか入れない。
・昔から何度も修復されている。2019年の台風15,19号で被害に遭い、地元の皆で修復した。
石屋さんも参加した。
丁重にお礼を言うと、石屋さんは「気を付けて回ってください」と手を振った。
ここでもいい感じだ。
朱色の観音堂は遠い海からも良くみえる。昔から船を送り出し、迎えているのだろう!

崖観音から館山湾を望む
崖観音から館山湾を望む

そして千葉県道302号を歩いて行くと、左側に那古山中腹への急登な階段が見えた。
階段を上ると10:15那古寺着。ここも真言宗の寺院だ。
中央に本堂である観音堂が、左側に日枝神社が、右側に多宝塔が建立されている。
ここは坂東三十三観音の第33番で本尊は千手観音菩薩、那古観音と言われている。
千手観音菩薩は本堂である観音堂に祀られている。
源頼朝もあつい信仰を捧げた。ここでも千葉の歴史を感じる !
裏の潮音台に上ろうと思ったが、工事中で通行止めだった。残念だ。
観音堂の前は開けていて、館山湾が遠く見渡せる。いい眺めだ。

ベンチに座って心地よく軽食を摂っていると、散歩中の男性から声がかかった。
「いい天気ですね。どちらからきたのですか」船橋です。
「私は先月70歳になって退職しました。そしてここに移住しました。」家族で?
「子供は独立しています。孫がいないので、近くにいなくてもいいと思い。女房と二人できました。」「昔から釣りが好きでここに良くきていましたから。賃貸です。気が変れば他に移ります」
先ほど崖観音で石屋さんから、「ここは暖かいよ、風は強いけど」と言われました。
きっと気に入りますよ。
「ありがとうございます。お気をつけて」はい、ありがとうございます。
心も暖かい人が多いところだな!
11:12 JR那古船形駅に戻った。10:32発に乗車。2駅で11:53 JR九重駅着。JR九重駅
駅前は住宅地になっている。ネットでは田園地帯だったが変わったみたい。
国道128号に出てグリーンラインに入ると、右側の丘陵は木々に覆われた稲村城跡(国指定史跡)だ。案内板があった。1500年ごろまで前期里見家の居城だった。
案内板を右に曲がって進むと水往来らしいのがあった。しかし西柵堂はわからない。
案内板に戻って、直進したが住宅ばかりで稲村城跡への入口がわからない。

12:30止むえず「館山市ホームページ 「国指定史跡】里見氏城跡 稲村城跡 ご案内」を見て国道128号に戻った。
ホームページに従い館山駅方向に15分ほど歩くと12:40入口の標識が現れた。
引用:館山市ホームページ 【国指定史跡】里見氏城跡 稲村城跡 ご案内https://www.city.tateyama.chiba.jp/syougaigaku/page004279.html  (参照2023-10-26)
安堵した。それから標識をたどって鬱蒼とした森の中を水往来→尾根道→堀切→虎口→土塁と上って行くと、開けた主郭(本丸)に13:00着いた。
視界は広がり眺めは最高、館山湾や周りの田園が良く見渡せる。良いところだ。
崖観音、那古観音、稲村城から館山湾を眺められた。それぞれ見応えがある、いいところだなー!

帰りは正木様を経て、同じコースで国道128号に戻った。
さらに国道128号を館山駅に向かった歩いた。国道沿いは店舗が並んでいる。にぎやかな感じだ。
14:00安房国分寺跡着。思ったより小じんまりしている!
安房国分寺は上総国分寺、下総国分寺から遅れて建立された。
全国中でも小さな国分寺だったようだ。今は真言宗の寺院だ。
お参りして周りを歩いた。当時は海の傍だったらしい。

聖武天皇の勅願により全国に70ヶ所近くあったされる国分寺。
1県に3か所の国分寺は全国でも8県しかない。関東では千葉だけだ。
古墳数も千葉は全国で4位だ、関東では一番多い。
いかに千葉が栄えていたかが良くわかる。
関東には甲斐(笛吹市)、上野(高崎市)、下野(下野市)、〇常陸(石岡市)、〇武蔵(国分寺市)、
〇相模(海老名市)、〇下総(市川市)、〇上総(市原市)、〇安房(館山市)の9の国分寺がある。
この内の6寺(〇付)を訪ねたことになる。これからもさらに訪ねよう。
国分寺前からはバスに乗った。14:50 館山駅着
館山駅前の亀屋本店で土産を買った。やはり琵琶やピーナツに関する土産が多い。
また駅前の弁当屋マリンに「くじら弁当」があった。
上さんがくじらはいらないと言っていた、私も苦手だ。
くじらの代わりにソフトクリームを食べた。(笑)
JR館山駅発15:37で津田沼に向かった。16:11車窓からの夕陽が美しかった。

車窓からの夕陽
車窓からの美しい夕陽

17:33JR津田沼着。帰宅すると、上さんがお茶を入れて迎えてくれた。
「甘いね、おいしい、今度行って見よう。」暖かく生活しやすいとこだって。
「やはりね」 (笑) 琵琶のしおり びわゼリー
南国の海と史跡を堪能、季節外れの暑さだったが楽しい歩きだった。
しかし稲村城跡では、歩いた人が提供したブログどおりに進めなかった。
城跡内に通行止めがあったとは気づかなかった。
複数のブログを見るのはいいが、まずは自治体ホームページが第一だな。
痛感した! 次回は気をつけよう。(笑)

薬師堂表紙

2023/3/7 春の泉福寺薬師堂・歴博・佐倉城めぐり、このコースは最高!

今日はやっと佐倉散策だ。昨年秋から計画していたが、行けなかった。

今日のコースは、
京成臼井駅北口07:55 大成交通宗像路線バス(赤ルート)→08:07中里バス停→泉福寺薬師堂→印西市立印旛歴史民俗資料館→印旛沼公園→舟戸大橋→臼井城跡→京成臼井駅→京成佐倉駅→国立歴史民俗博物館→佐倉城跡公園→ひよどり坂→武家屋敷群→蔵六餅(和菓子屋)→京成佐倉駅

07:40臼井駅着。気温15℃、風無し、汗をかきそうだ。(笑)

07:55 京成臼井駅発、印西牧の原駅行の大成交通宗像路線バス(赤ルート)のバスがきた。ちょっと小さめのコミュニティバスみたいだ。乗客は5人。
中里バス停は6つ目だ。車窓からは、各民家の庭には鮮やかな白梅が見事に咲いている。
2月27日、青葉の森公園の梅園も見事だった。ダブル花見だ。

中里バス停に行くバス
中里バス停に行くバス
中里バス停
中里バス停
印旛沼が見えてきた。船戸大橋にきた。思った以上に広い。
08:07 あっという間に中里バス停着。15分ほど。
スマホを開いて、泉福寺薬師堂を目指した。
ナビアプリはお寺の敷地は指すが、正門がわからない。操作が悪い見たい?
目指すは丘の上のようだ。
丘の周りをぐるぐると回った。45分費やした。
なんと印旛歴史資料館を先に見つけた。泉福寺薬師堂はそこから5分先にあった。
寺の入口に見事な白梅が1本咲いている。こじんまりした民家のようなお寺だ。
泉福寺薬師堂周辺図
泉福寺薬師堂周辺図、ぐるぐる回った 出典:地理院地図 / GSI Maps|国土地理院を加工して作成
泉福寺薬師堂入口案内板
泉福寺薬師堂入口案内板が見えた、回ってきたかいがあった
泉福寺正門白梅が美しい
泉福寺正門、白梅が美しい
薬師堂が見えた
薬師堂が見えた
泉福寺薬師堂案内板
泉福寺薬師堂案内板
泉福寺薬師堂
泉福寺薬師堂、見事な茅葺屋根だ
左側の広場に、ぽつんと薬師堂があった。後ろには竹林があった。
ぐるぐる回って、じっくり眺めた。まさに国指定重要文化財だ。

印西市ホームページには 次のように記載されている。

・・・正面側面ともに三間の堂で、屋根は茅葺寄棟造です。・・・建立年代は建築手法から室町時代末期と考えられ、栄福寺薬師堂、宝珠院観音堂の後に位置付けられます。・・・

出典:印西市.「泉福寺薬師堂[国指定重要文化財(建造物)]」https://www.city.inzai.lg.jp/0000005005.html (参照 2023-03-07) 
薬師堂の茅葺屋根美しい曲線
薬師堂の茅葺屋根、美しい曲線だ
茅葺は静けさ、防水、断熱に優れているそうだ。古人の知恵を感じる。
火事、台風などメンテナンスは大変だが。現代人はもっと見習うべきだ。

そして泉福寺隣には印西市立宗像小学校があった。校庭で小学生がなにやら、並んでいた。
印西市立印旛歴史民俗資料館着。すると先ほどの小学生がやってきた。ここで体験学習をするようだ。邪魔にならないよう、そっと印旛沼の漁労具、農具、養蚕などや古墳出土品の展示物を見て回った。
ここも古墳が多い所だ。
印西市立宗像小学校
印西市立宗像小学校
印西市歴史郷土資料館
印西市歴史郷土資料館
資料館を出て印旛沼公園、舟戸大橋、臼井城跡に歩く予定だったが、変更して中里バス停に戻った。
09:33発京成臼井駅行に乗車。車窓には往きと違った印旛沼が広々と見える。今度はゆっくり歩こう。
船戸大橋
船戸大橋が見えた、左右に印旛沼が広がる
印旛沼何がとれるかな
印旛沼、鯉や鰻がメインかな?
印旛沼右側は佐倉市だ
印旛沼、右側は佐倉市だ、思ったよりは広いな
09:43臼井駅北口着。10:05京成佐倉駅南口下車。
佐倉市観光協会前に出て、国道296号に向かって西方向に歩いた。15分程すると、左手に国立歴史民俗博物館(歴博と呼ばれている)の大看板が見えた。愛宕坂を上がって行くと博物館の裏側に正面入り口があった。
京成佐倉駅
京成佐倉駅南口
佐倉城址公園案内板
国立歴史民俗博物館手前に設置された佐倉城址公園案内板
歴博入口門が見えた
歴博入口門が見えた、左はお濠だ
国立歴史民俗博物館入口
国立歴史民俗博物館入口、大きいな
国立歴史民俗博物館案内板
入口門横に設置された国立歴史民俗博物館案内板
愛宕坂案内板
愛宕坂案内板、入口門をくぐる坂道を愛宕坂と呼ぶ
愛宕坂沿道には梅が咲き乱れる
愛宕坂沿道には、白梅が出迎えてくれる
モダンな建築
愛宕坂の右手に、モダンな建築「博物館」が現れた
歴博正面入口
奥に上がって行くと、歴博正面入口にでた
その前は佐倉城址公園だ。広々としている。
歴博内で、スタッフに撮影はOKですかと聞くと、OKとNGがあります。NGは表示していますから、気を付けてくださいと言われた。注意しながら次の順に見学した。

企画展示の「いにしえが、好きっ!-近世好古図録の文化史」
特集展示の「中世公家の<公務>と生活―広橋家記録の世界―」
総合展示では、
第1展示室―先史・古代―、第2展示室ー中世―、第3展示室ー近世―、第4展示室―民俗―、
第5展示室―近代―、第6展示室―現代― と見て回った。
どのくらい時間が経っただろうか、疲れた(笑)

余りの量の多さにびっくり、日本中から集められた貴重な品々だ。
一度で見ることはできない、また来よう。何度でも来たい。
館内の歴博レストランで、古代米の古代カレーと歴博ドック・コーヒーを食べた。

そして、13:30 佐倉城址公園を散策した。佐倉城と言えば、日米通商条約を交渉した城主堀田正睦公が有名だ。
まず、二の門跡、子規の句碑、堀田正睦の銅像、一の門跡、本丸跡、夫婦モッコク、天守閣跡、そして丘に上がって本丸跡全体を見回した。歩道沿いには桜の木がいっぱい。桜花見には大変な人出だろう。
二の門跡案内板
二の門跡案内板
子規の句碑
子規の句碑、子規が佐倉を訪れて詠んだもの
堀田正睦公像
佐倉城主堀田正睦公、タウンゼント・ハリスと日米修好通商条約交渉を行った
一の門跡案内板
一の門跡案内板
佐倉城の夫婦モッコク
佐倉城の夫婦モッコク
本丸跡
佐倉城の本丸跡だ
茶室三逕亭、三の門跡、自由広場に出ると、白梅、紅梅が満開だ。大勢の人が見入っていた
自由広場の梅園(表側)
自由広場の梅園(表側)、紅梅が映える
自由広場の梅園(内側)
自由広場の梅園の内側は、白梅が咲き誇っている
それから右側に佐倉東高校では卒業式していた。
左側に佐倉中学校を見ながら、大手門址、市民体育館前で右側に曲がり坂を下ると、サムライの古径(こみち)ひよどり坂に出た。
サムライの古径(こみち)竹林のひよどり坂
サムライの古径(こみち)竹林のひよどり坂
武家屋敷通り
風情を感じる武家屋敷通り
城下町の面影を残す武家屋敷
城下町佐倉の面影を残す武家屋敷
竹林を上がって行くと武家屋敷通りに出た。右手に大聖院、左側に旧河原家住宅、旧但馬家住宅、
旧武居家住宅が公開されている。城下町佐倉の面影を残す茅葺の家だ。丁寧に保存されている。
途中にくらやみ坂があった。ここも竹林だ。風情ある通りだ。
さらに歩くと国道296号の交差点に出た、右に曲がると和菓子屋蔵六餅本舗木村屋があった。
佐倉銘菓の蔵六餅を買った。やわらかい求肥が入った餅入り最中だ。最中は初めてだ。上さん、喜ぶな-(笑)
蔵六餅
佐倉銘菓「蔵六餅」餅入り最中だ、美味い
そして15:30 京成佐倉駅着。帰宅して、早速「蔵六餅」を食べた。
上さん、最中もいいね、美味しい! 地元銘菓は深い味わいがあるね(笑)

今日のコースは、亡き旅行作家柳沢さんと歩きたかった。
茅葺屋根や歴史民俗に関する彼の講釈を聞きたかった。
歴博は素晴らしい。ここには日本全体の歴史民俗が展示されている。
関心ある人はまずここに来なきゃ!!!
春陽気で梅花見もでき、いい散策となった!







中の島大橋

2022/8/29 木更津、日本書紀や鎌倉が匂う情緒あふれる街!

今日は、木更津の史跡めぐりと東京湾一望だ。
コースは、木更津駅東口09:12金鈴モニュメント→09:34金鈴塚古墳→09:51稲荷森古墳→10:21旧安西家住宅→10:25木更津市郷土博物館(休館)→10:29きみさらずタワー→10:44金鈴塚遺物保存館(閉館)→11:14長楽寺→12:15木更津駅西口→12:36光明寺→13:08八劔八幡神社→13:30中の島大橋→13:45中の島公園→14:45イオン木更津(バス)→15:21木更津駅15:30発千葉行 帰路につく。
千葉駅08:24発の外房線に乗車、ぼんやり車窓の景色を眺めていると袖ケ浦駅構内で地震計を見つけた。地震計  建物の周りに柵がめぐらしてある。柵に木更津保線区と書いてあった。JRも計測しているのか、初めて見た。
木更津駅09:03着。
あいにく天候は曇り、気温27℃、秋を感じられる風が吹く。今夏の天候変化は激しい、寒暖差疲労が叫ばれている。天気予報も当日にならないと当たらない。
当初30日に計画したが雨予想に変わったため、29日がまだ雨が降らないと思い、急遽一日は早めた。実はこれが大失敗の浅はかだった。
木更津駅を出ると、バス通りの向こう側に金鈴モニュメントが立っていた。金鈴モニュメント  金鈴塚古墳の遺物から出てきた、金製の鈴にあやかり建てられたものだ。木更津のシンボルかな!
さらに北に歩いて、県道90号を越えて東方向に行くと、09:34金鈴塚古墳に着いた。
6世紀末~7世紀初頭の築造とみられ、墳丘の全長は約100m。1950年(昭和25)年の発掘で、横穴式石室から金製の鈴5個が出土したことにより、金鈴塚古墳と名づけられた。金鈴などの遺物は国の重要文化財に指定されている。
現在は史跡整備工事のため鎖が掛かっていて、横穴式石室には入れなかった。残念!
墳丘周囲は住宅地になっていたが、残っている墳丘は見られた。
古墳時代、千葉県には大きな豪族が多々あったことがわかる。
古墳数も全国第4位だ。10位以内に入っているのは、関東では千葉県だけだ。『平成28年度 周知の埋蔵文化財包蔵地数(古墳・横穴)』(文化庁調べ)より。
それからまた県道90号を越えて南方向に行くと、09:51稲荷森古墳に来た。
ここも約80mの前方後円墳だ。同様に出土品には鈴、刀などがある。残っているは墳頂丘だけで、周りは住宅地だ。稲荷森古墳 墳丘の稲荷神社祠
墳頂丘には稲荷神社の祠があった。さらに東方向に歩くとツクツクボウシが鳴き騒いでいる。この声を聞くと夏の終わりを感じる。10:15太田山公園に着いた。
太田山公園は有名な伝説がある。
東京湾に入水した弟橘媛を想いながら日本武尊が太田山から海を見つめ、長くこの地にとどまったとされる。このことから、後にこの地は「君不去」(きみさらず)と名付けられ、木更津に変化したという。
まず太田山山頂途中にある旧安西家住宅に行った。茅葺屋根の家だ。江戸時代中期に建てられた民家だ。旧安西家住宅 旧安西家住宅 (正面)
これを見ると旅行作家の柳沢さんを思い出す。
彼の茅葺の研究は広く深い、地方の茅葺の家を訪ね歩いた。本を書くと直ぐに見せてくれた。
そして太田山頂上に着くと、木更津市郷土博物館があった。しかし月曜日で休館。また残念。
日程を変えなきゃ金の鈴などの出土品が見られたものを! ばかだなー!
気を取り直して、隣のきみさらずタワーに上った。28mの高さだ。らせんの歩道は木更津の町並み、南の鹿野山や東京湾を一望できた。大きい富士山が見えなかったのはまたまた残念!360度の絶景だ。
塔の上には、日本武尊と弟橘媛の銅像が向かい合って立っている。いいな、このポーズ!
下を見下ろすと、保育園児たちが遊んでいる。憩いの場だ。
中学校時代(福岡県)、オヤジと一緒に映画「日本誕生」を見に行った。当時映画が一番の娯楽だった。
よく連れて行ってもらった。苦手なオヤジだったが、今は感謝している。(笑)
日本武尊は三船敏郎、弟橘媛は司葉子が演じていた。海に身を投げるところは悲しいイメージがおぼろげに残っている。
下山途中に旧金鈴塚遺物保存館(閉館)の前を通り、南方向に歩いて11:14長楽寺に来た。
真言宗豊山派寺院の長楽寺は鎌倉時代の創建だ。正面に本堂、後ろに池、その奥に大師堂があった。
最初に奥の大師堂に行った。竹林、前にある池から見る光景は風情があり和む良いところだ。桜、紅葉時期は見事だろう!
本堂はモダンな建築だ。そう言えば市川の回向院別院源光寺もモダンだった。両者とも親近感が沸く雰囲気がある。見事な本堂だ。こういうのが増えていくのだろうな!透明で美しく厳かなものを望みたい。
さらに北に歩いて12:15木更津駅西口の商業施設に入った。がらんとしていて店がない、テナントが撤退したみたいだ。ちょっと気持ちが悪いほどひとけがない。コロナ禍のせいかな?
憩いのスペースがあって、3人がスマホいじりや軽食をしていた。端のテーブルで軽食をした。そして13:36駅から5分の光明寺に来た。
大通りの商店街はがらんとしてレトロな感じ。寂しい。
光明寺は、建武2年(1335年)の開山とされる日蓮宗の寺院だ。境内には歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」で木更津の名を全国的に有名にした切られ与三郎の墓がある。
13:08すぐそばの八劔八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)に来た。ここの商店街もがらんとしていた。
ここは創建年代は不詳だ。日本武尊と弟橘媛の縁社だ。源頼朝が鎌倉開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営した言われている。境内には頼朝が植えたいう蘇鉄があった。
そして木更津港に向かって歩いた。潮のにおいが気持ちいい!13:30鳥居埼海浜公園の中の島大橋入口にきた。日本一大きい歩道橋だ。恋人の聖地だ。
高さは27m、長さは236m、渡る時間は10分。歩道橋頂上にくると、オー見晴らしがいい!
左側に東京湾が、右側には木更津港が一望できた。近くの自衛隊で訓練しているヘリ、飛行機や行きかう船たちも見られた。大パノラマだ。
富士山は見れなくて残念。しかしこの高さからの眺めは潮風を浴びて心地いい。
14:45中の島公園にきた。なんもない公園だが、芝生に寝込んで何も考えず空を見上げるのがいい。
戻って富士見大橋を渡り、埋め立ての工業団地を横目に歩き続けると14:45イオン木更津に来た。
口福堂で「豆大福・みたらし団子」を買って、バスで15:21木更津駅に着いた。15:30発千葉行で帰路。
自宅に着くと早速、上さんと豆大福・みたらし団子を食べた。
やっぱり、豆大福が一番よー!うまい!(笑)
今日は足がすくむ高いところを歩いた。山と違って面白かった。体調の異変はない。
日本書紀や鎌倉ゆかりの歴史情緒あふれた所だ。東京湾を一望でき爽やかな気持ちになった。
金の鈴他出土品は、文化遺産オンライン「https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/201953」
で見ることができた。美しく可愛い! 古人の技術は素晴らしい!
佐倉にある国立歴史民俗博物館にも出土品が置いてあるらしい。次回は佐倉だな(笑)
千葉公園の大賀ハス

2022/6/28 大賀ハス、古代ロマンを味わう!

梅雨の花「紫陽花、花菖蒲」は上さんと水元公園に行って堪能した。今度は「大賀ハス」だ。
大賀ハスと言えば、千葉公園だ。千葉市の花だ。
大賀博士が約2000年前のハスの実を千葉で発掘して、発芽開花させたものだ。
ハス鑑賞後には、池のそばにある障害者就労支援施設「カフェ・ハーモニー」に寄って田中理事長にあいさつして、美味しいコーヒーを飲もう。ハーモニーに行くのも久しぶりだ。もう長い付き合いになる。
ハスは早朝に眺めるのがいい。千葉公園は、
6月13日(月)~7月3日(日)まで午前6時からハス池の木道を開放している。
28日は「もう満開時を過ぎたかも」と思いながら、08:15千葉公園に着いた。
千葉公園 公園そばをモノレールが走っている。千葉公園の紫陽花
36℃、風は無い。暑い。ハスはどうだろうか?
公園に入ると、紫陽花が咲いている。カフェハーモニーの前を通って行くと、ハス池・連華亭に出た。
鑑賞者がいっぱいだ。池を一周し、木道をじっくり歩いた。
大きく開いているもの、閉じているもの、池いっぱいに咲き誇っている。
弥生の古人たちもこのハスを観賞していた?
同じハスを今私も観賞している。古代ロマンだ!
ハスの花言葉は清らかな心だ。仏教とつながり深い。
蓮華の五徳、阿弥陀経にハスについて記載されているらしい。
お釈迦様もハスを愛したのかな。(笑)
ちなみに紫陽花は色によって変わる、移り気、和気あいあい…色々だ。
また花菖蒲は信頼、情熱…とこれも色々だ。皆移り気だ。(笑)
今年は暑いから、花が閉じるのも早い見たい。もっと朝早く来るべきだったか、残念?
来年は06:30着だ。
08:45カフェ・ハーモニーの入口にくると、まだ準備中の看板が置いてあった。
コーヒーが残念。止むえず千葉駅に戻った。
12番バス乗り場から蘇我駅東口行に15分ほど乗り、09:30北星久喜バス停で下車。
北星久喜バス停15分歩くと、都市緑化植物園入口09:45千葉市都市緑化植物園に来た。
以前、旅行作家柳沢さんと一緒に「青葉の森公園の青葉ケ池」でバードウォッチングした時に、ここの植物園について一年中花が咲いているところと教えていただいた。
今日はここに行って見よう。その後青葉ケ池でバードウォッチングしょう。
入口に植物園の案内板が貼ってあった。ここも紫陽花が、次にバラが出迎えた。
紫陽花 事務所前のバラ
事務所で植物園のリーフレットと6,7月の見ごろマップをいただき、それに沿って園内を見て回った。大賀ハスは人いっぱいだったが、ここは誰もいない。
独り占めだ。もったいない気がした。
植物園は温室を含め13個の園に分けてある。バラ、紫陽花…野草など6~7月の花々が咲き誇っている。
花の種類は多く、一つ一つじっくり鑑賞すると1時間以上はかかる。
可憐で美しい野草を見ると心がやすまる。暑さを忘れた。
市民が加わって育成している園芸実習園や市民ばら園などもあり、講習会や展示会も開催されている。
事務所に訪問した際には、花の撮影に関する説明会が開かれていた。
また、クッキーや飾り物などの土産も置いてあった。
欲を言えば、カフェがあるといいのに? コーヒー飲みたい!
ここはいつでも四季の花々が見られる。
10:45植物園を出て、青葉の森公園に歩こうと思ったが、ますます暑い!
今日は取りやめた。北星久喜バス停からJR千葉駅に向い、帰路についた。
JR千葉駅近辺で花々を楽しめるところ、こんなに多いとはびっくり!
秋に計画を練り直してまた来よう! 楽しみが増えた。(笑)